「鎌倉城外郭を守ろう」キャンペーンにご協力してくださった皆様
4月17日、鎌倉市長は旧野村総合研究所跡地をゴミ焼却場建設候補地から外すことを正式に発表しました。これで鎌倉の三方の山々は残されます。
その折り頂いた皆様のご協力に心から感謝申し上げます。誠に有難うございました。
このブログを立ち上げた時は必死にみなさまにご支援をお願いしました。しかし要望書、陳情書、署名そして鎌倉にふさわしい建設的な提案を提示した後は関係者一同、行政の動向を静観しておりました。市民生活の営みの中でゴミ焼却場が鎌倉市の何処かに必要であり、焼却場建設地に選ばれた区域の人々の事を思うと、静かにせざるを得ない一面があったのです。結論が出た今もその気持ちはぬぐえません。
本日、このようなご報告が出来ますことは皆様の暖かいご支援があったからこそと改めて御礼申し上げます。
これからは、今まで暖めていた建設的な提案を旧野村総合研究所跡地で実行に移して行きたいと思います。放置するにはもったいない施設と敷地なのです。また、近い将来皆様のご助力のもと市民運動が出来れば幸いです。
感謝をこめて、
瀧下嘉弘
鎌倉城外郭を守ろう
2015年5月3日日曜日
2014年10月20日月曜日
2014年10月1日水曜日
2014年9月26日金曜日
鎌倉城と外郭
鎌倉市の歴史的風土の特性と鎌倉城
古都鎌倉は、奈良や京都が「王城の府」であったのに対し、「軍営の府」としての性格をもっており、したがってその歴史的風土も、武士の都としての歴史にまつわる様々な文化遺産と天然要害としての背後丘陵の自然環境が結びついて形成されているところに大きなと特色が見られる。
往時の鎌倉は、三方を山に囲まれ一方が海に開けているため、攻撃に対して守りやすい地形を備えていた上に、山々の尾根は城壁としての役割を果たすように造成され、木々が取り払われて削平されていた。このように、鎌倉はまち全体が幾重にも重なる山々の城壁にかこまれた城郭都市としての構えを備えていたことから「鎌倉城」と称された。
「鎌倉城」の構造は、平坦地とこれに連なる谷戸を中心に市街地が形成され、行政施設や御家人の屋敷、社寺が配置されていた。これに通じる山々には、外部とつなぐ交通路として、また、防衛のための砦としての役目を果たす7カ所の切通しが設けられたほか、その外側にも街道沿いの要衝地などに砦が設けられ、重層的な構造をもつ鎌倉城が形成されていた。
現在は、この七切通しと鎌倉五山と呼ばれる社寺地をつなぐ山々及び谷戸の区域が歴史的風土保存区域の指定を受けている。
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