鎌倉市の歴史的風土の特性と鎌倉城
古都鎌倉は、奈良や京都が「王城の府」であったのに対し、「軍営の府」としての性格をもっており、したがってその歴史的風土も、武士の都としての歴史にまつわる様々な文化遺産と天然要害としての背後丘陵の自然環境が結びついて形成されているところに大きなと特色が見られる。
往時の鎌倉は、三方を山に囲まれ一方が海に開けているため、攻撃に対して守りやすい地形を備えていた上に、山々の尾根は城壁としての役割を果たすように造成され、木々が取り払われて削平されていた。このように、鎌倉はまち全体が幾重にも重なる山々の城壁にかこまれた城郭都市としての構えを備えていたことから「鎌倉城」と称された。
「鎌倉城」の構造は、平坦地とこれに連なる谷戸を中心に市街地が形成され、行政施設や御家人の屋敷、社寺が配置されていた。これに通じる山々には、外部とつなぐ交通路として、また、防衛のための砦としての役目を果たす7カ所の切通しが設けられたほか、その外側にも街道沿いの要衝地などに砦が設けられ、重層的な構造をもつ鎌倉城が形成されていた。
現在は、この七切通しと鎌倉五山と呼ばれる社寺地をつなぐ山々及び谷戸の区域が歴史的風土保存区域の指定を受けている。
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